東京庵で「カツ重」
長野市の西隣にある「須坂市」。北信地域の住民であれば馴染みの深い場所だが、長野県民以外にとっては知名度もイマイチの地味な街だ。しかし、かつては製糸業で大変に栄え、今でもその面影を残す趣のある街並みである。
昭和時代は中心部に「須坂劇場」という劇場があり、美空ひばりや西郷輝彦も興行に来たという。劇場は昭和50年代に閉鎖になってしまったが、その前の通りは今でも「劇場通り」と呼ばれている。その劇場通りにある食堂がここ、
「東京庵」である。一見何の変哲もない大衆食堂だが、何と創業は明治25年、来年で130年の歴史を誇る大変な老舗である。ただし、当初は東京で開業し、関東大震災の前年に須坂に移って来たという。
日曜日の11時半過ぎに訪問、僕が一番乗りであった。
二階に登る階段もある。恐らく二階は広い宴会場であったと思われるが今ではご主人の趣味らしい竹製の花器の展示スペースとなっている。
食堂としてごくオーソドックスなメニューラインナップだ。
壁には「美空ひばりも食べたカツ重」と誇らしげに貼ってある。美空ひばりが須坂劇場に興行に来た時、ここからカツ重を出前したらしい。親父さんに迷わずカツ重(¥900)を注文。
客席にはテレビもなく、シンとした中にビールを冷やしている冷蔵庫のモーター音だけが低く響いている。厨房からはバンバンと肉を叩く音、その後カツを揚げる「チリチリ」という音が微かに聞こえてくる。ものすごく静かな日曜日の昼下がりの時間が流れていく。かつてはこの店内も、表の通りも今とは比べ物にならないくらい賑わっていたのだろう。
10分強で到着。懐かしさを感じさせるビジュアルだ。
持ち上げるとずっしりと重い。ロース肉は厚めに切られている。衣もまた厚めだ。噛み締めると衣はしっとりとつゆを吸い、下処理が丁寧にされたロース肉は程よい柔らかさである。つゆの味は甘すぎず、鰹の風味も控えめの素朴な味である。ほのかにウスターソースの味も感じる。隠し味で入れているのだろうか。
ちょっと変わった味の味噌汁と、昆布とちくわの煮物と沢庵も美味しかった。
食べ終わって親父さんに会計を頼むと、木製の古いレジスターが現役である。話しかけると明治時代の創業当時から使い続けているのだという。これはすごい。写真を撮らせてもらうんだった。
親父さんは美空ひばりにカツ重を届けた時のことを話してくれた。
当初はせいぜい50食くらいかな、と思っていたら、120食の注文が来てそりゃもう大騒ぎだったらしい。当然店は臨時休業にして、当時5人いた従業員総出で作っては届けを繰り返したらしい。
いや、いいものを食べさせてもらいました。劇場通りのかつての賑わいを知る現役の店は数えるほどしか残っていないが、どうか1日も長く頑張って欲しい。